千葉地方裁判所 昭和60年(ワ)144号 判決
千葉県成田市天神峰三三番地三
原告
小川嘉吉
右訴訟代理人弁護士
葉山岳夫
同
一瀬敬一郎
千葉県成田市花崎八一二番地一二
被告
成田税務署長
中島秀夫
右指定代理人
立石健二
同
萩野譲
同
西堀英夫
同
三上正夫
同
佐藤鉄雄
同
永野重知
同
小林隆
主文
一 本件訴えを却下する。
二 訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 原告が被告に対してなした昭和四四年八月一三日付相続税申告書による納税申告が無効であることを確認する。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 被告の答弁
主文同旨
第二当事者の主張
一 請求原因
1 原告は、昭和四四年二月一三日、父小川梅吉の死亡により、別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という)を相続した。
2 本件土地は、昭和四一年七月に建設が閣議決定・政令によつて指定された新東京国際空港(以下「空港」という)の建設予定敷地内に所在していた。
3 納税申告の不存在
原告は、右相続に伴う相続税の申告期限の最終日である昭和四四年八月一三日、遠藤英夫税理士とともに成田税務署に出向いたところ、応対に出た同署資産税相談係長の松戸亮(以下「松戸係官」という)は、本件土地の評価基準等について何ら説明しないばかりか、勝手に申告書の所要事項を自ら全部記載した。これに対し原告が、「土地の評価基準が高すぎる、計算の基礎が違う」と抗議したにもかかわらず、松戸係官はこの異議申立てを無視し、原告に押印を強制した(以下前記申告書を「本件申告書」といい、右申告書に基づく納税申告を「本件申告」という)。
右のように本件申告書は松戸係官が作成したものであるから、国税通則法一六条の定める自己申告の原則からは、納税申告自体が存在していないと解すべきである。
4 通達の違憲・無効性
松戸係官が本件申告書の作成に際して用いた本件土地の評価基準は、昭和四四年二月付「新東京国際空港の建設予定地内にある土地の評価」の通達(以下「本件通達」という)に基づくものであるが、通達によつて相続財産の時価を定めることは、それ自体憲法八四条の定める租税法律主義に違反する。
本件通達により、本件土地は、空港建設予定敷地外農地の評価額の約三・八倍という高額で評価されているが、原告が空港建設に反対し買収に応じないことが明らかであるにもかかわらず、単に本件土地が空港建設予定敷地内にあるというだけで不平等な課税価格を設定することは、憲法一四条に由来する租税公平の原則に違反する。
更に原告が本件土地を相続する前後に空港建設予定地内の土地について相続が発生した事例が数件(瀬利彦助、加藤つる、岩沢庄平等)あるが、いずれの場合にも倍率方式(国定資産税評価額に国税局長が一定の地域ごとに定める倍率を乗じて計算した金額によつて評価する方式)によつて評価、申告がされており、本件通達による評価基準が適用されたのは原告のみである点においても租税公平の原則に違反する。
以上の理由により本件通達は無効であるから、右通達による評価基準に基づいてなされた本件申告もまた無効である。
5 錯誤無効
前記のとおり松戸係官は、原告を無視して、新東京国際空港公団の買収予定価額で計算した申告書を作成し、相続税額が五三三万五〇〇〇円になつたと原告に告げた。原告が「なぜこんなに高いのか」と問い正すと、松戸係官は「空港予定地として計算したからこのようになつた」と答えた。原告は、納得できず本件申告書の内容を書き直すよう求めた。しかし松戸係官は近くに居た二名の成田税務署係官と一緒になつて、「もう書いてしまつたことだし、書き直すには時間がかかるから大変だ、このまま押印してくれ」、「今日出さないと申告期限が過ぎ、大変な不利益を受ける」、「後で直せるのだから今日出すだけは出しておいてくれ」と執拗に迫つた。そのため原告は錯誤に陥り、後で申告書の修正ができると思つて本件申告書に押印した。
従つて本件申告書にはその要素に錯誤があり、納税申告においても民法第九五条が類推適用されるべきであるから、本件申告は錯誤により無効である。
6 詐欺・強迫
松戸係官は、原告に本件土地を空港予定地の評価額で計算した申告書を何が何でも提出させるという意思をもち、他の二名の成田税務署係官と、説得に応じない原告に対して「後で直せるから」と欺き、「今日提出しないと大変な不利益がある」とおどし、恐怖の念を生じさせ、あるいは錯誤に陥らせて意思表示をさせた。
従つて右意思表示は詐欺または強迫に基づくもので、納税申告にも民法九六条が類推適用されるべきであるから、本件申告は取り消しうべき行為である。原告は、本件申告後四回にわたつて成田税務署に本件申告書の訂正を申し入れているので、これをもつて本件申告は取り消され、無効となつた。
よつて原告は、被告に対し、民事上の訴えとして、本件申告が無効であることの確認を求める。
二 被告の本案前の主張
本件訴えは、行政庁である成田税務署長を被告として、原告が被告に対してなした昭和四四年八月一三日付の相続税申告書による納税申告の無効確認を求めるものであるが、以下に述べるとおり不適法であつて、却下を免れないものである。
1 およそ確認訴訟は、特段の規定のない限り、現在の権利または法律関係の確認を求める場合にのみ許されるべきものであるところ、本件訴えに係る請求は、冒頭に述べたところから明らかなとおり、過去になされた納税申告が無効であることの確認を求めるものであつて、過去の法律関係の確認を求める趣旨を出てるものではない点において不適法といわざるを得ない。
2 仮に本件訴えを本件申告の無効を前提とする相続税債務の不存在の確認を求めるものと善解できるとしても、右相続税債務に係る法律関係の帰属主体たる国を被告とせず、当事者能力を有しない成田税務署長を被告としている点で、やはり不適法である。
三 被告の本案前の主張に対する反論
過去の法律関係の確認請求が許されるか否かについては、過去の法律関係でも現在確定する利益が存在するかぎり、確認訴訟の対象となると解すべきである。なぜなら、確認の訴えが、現在の権利又は法律関係の存否を確認することによつて現在の紛争を解決すると共に、これによつて将来の紛争も防止するという予防的機能をもつていることから、たとえ過去の権利又は法律関係でも、現在及び将来の紛争の解決・防止に役立つならば、それについての確認の訴えを肯定すべきと考えられるからである。
本件において原告は、無効な本件申告により、不当に高額な相続債務を負い、差押を受けているが、原告には不当な相続税を払う意思はまつたくない以上、このまま放置すれば競売執行の危機にある。従つて本件申告の無効の確認は、過去の法律関係にとどまらず、現在の権利又は法律関係を確定する利益がある場合にあたる。
第三証拠
本件記録中の書証目録の記載を引用する。
理由
一 国または地方公共団体の機関である行政庁は、本来私法上の権利義務の主体となりうるものではなく、行政事件訴訟法一一条、三八条は抗告訴訟の特殊性から特別に行政庁の被告適格を規定したものであつて、右のような特別の規定のない民事訴訟においてはもちろん、公法上の当事者訴訟の場合でも行政庁には、当事者能力がないと解せられる。原告は、当裁判所の釈明に対し本件訴えを民事上の訴えとして提起した旨明言しているが、本件訴えは、成田税務署長の職にある中島秀夫個人を相手方とするものではなく、国の行政機関である成田税務署長を相手とするものであることは弁論の全趣旨から明らかである。
従つてそもそも民事訴訟の当事者能力のない被告成田税務署長を被告とした本件訴えは不適法である。
二 更に付け加えるに、本件訴えは、昭和四四年八月一三日になされた本件申告が無効であることの確認を求めるものなので、過去の法律関係の確認の訴えと考えられるが、民事訴訟は現在の法律上の紛争の解決・調整をはかるものであるから、過去の法律関係の確認は原則として許されない。
もつとも現在の権利又は法律関係の個別的な確定が必ずしも紛争の抜本的な解決をもたらさず、かえつてそれらの基礎にある過去の基本的な法律関係を確定する方が現に存在する紛争の解決により適切な場合には、過去の法律関係についても確認の利益があると解される。しかし本件申告から派生する可能性がある現在の権利関係の存否の争いとしては、本件申告に基づく相続税債務の存否の争いと被告が原告に対して昭和四八年一一月二一日付でした差押処分をめぐる争いが考えられるところ、成立に争いのない乙第一ないし第三号証によれば、右相続税債務が存在すること及び当該差押処分が適法であることについては、いずれもその旨の判決が確定していることは明らかであるから、本件申告の効力の存否を確認することによつて解決すべき現在の紛争は法的にはすべて解決済みである。
従つて本件訴えには確認の利益がない。
三 以上いずれの理由によつても、その余の点につき判断するまでもなく本件訴えは不適法であるからこれを却下することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 荒井眞治 裁判官 藤村眞知子 裁判官 中山幾次郎)
物件目録
一 成田市天神峰字奥之台三二番
畑 七二四九平方メートル
二 成田市天神峰字奥之台三三番一
畑 二万〇〇五九平方メートル
三 成田市天神峰字奥之台三三番三
宅地 九六四・三二平方メートル
(昭和五三年一二月二日、三三番一から分筆)
四 香取郡大栄町吉岡字木挽谷一六二六番一四
田 四四六平方メートル
五 香取郡大栄町吉岡字木挽谷一六二六番一五
田 一一二〇平方メートル